今さらSL-A300・手書き入力で気づく思考の変化

SL-A300を入手してから、手書き入力する機会が大幅に増えました。
スケジュールというか日記のような記録については、アドエスではなくSL-A300でやってみる実験です。
そこで気付くのは、アドエスのキーボードで入力する時と、SL-A300で手書き入力する時の、文章入力時の脳の使い方の違いです。

キーボード入力では、

1 文章をとにかくひらがなで入力し、
2 IMEで変換後、
3 正しい漢字を選択する

流れになります。
この、1の、とにかくひらがなで入力する時は、文章の論理構造には気をくばりますが、3の、漢字として正しいかどうか判断する時は、正しいかどうかといった○かXかしか判断しないわけです。

ところが、手書き入力では、文章を入力中に、漢字の「形」をイメージする必要が生じるのです。

1 文章を考えた後、
2 文章中に現れるひらがなや漢字などをイメージ、
3 イメージしたもの(画像?)を1つlつ書く
4 手書き入力の場合は、認識された字が正しいか判断する

文章の論理構造の他、漢字の形までイメージしなければいけないので、キーボード入力になれきった私の脳にはそうとうの苦痛です。
さらに、手書き認識エンジンの「くせ」を「体で学び覚える」までは、誤認識が多く、これまた苦痛なんですね。

ところが、手書きは結構面白いのですね。

文章を構成している最中に漢字の形をいちいち思い浮かべる流れが、文章の論理横造の組みたてに影響を与えている事を実感しているような気がするのです。

文章の論理構造は、

論理を組みたてたり、「ことば」にすることですから、この作業はいわゆる「左脳」で主に行われている様な気がします。
一方、漢字の形を思い浮かべる行為は、「形をイメージ化」することですから、この作業はいわゆる「右脳」で主に行われている様な気がします。
手書き入力では、つまり、左脳と右脳の間でひんぱんに情報交換しながら文章が作られているということを、実によく感じることができます。

キーボード入力では、

右脳を使う機会がいちじるしく少ない。極端に言えば、変換された漢字の正否、〇Xの判断の時、単なに脳内漢字イメージDBとのマッチング作業しかしていない様な気がするんですね。

手書き入力では、

漢字イメージDBとのマッチング作業の他に、「漢字イメージの生成作業」も行われていて、この作業は文章の論理構造を考える左脳とは別の、右脳が行っている訳です。

こうやって手書き入力をしていると、

左脳と右脳が相互にかつ大変な量のシグナル交換をしていることを実感するのです。

私は以前、

思考というものは論理的なものだから、主に左脳によってなされると考えていましたが、この1年いろいろ経験して思うのは、「考えるな、感じろ」だということであって、思考の源泉は左脳にはなく実は「右脳」にある様な気がしてなりません。

右脳で感じ、それを左脳で体系化する、それが、論理的思考の流れ

だと、最近思い至りました。

となると、

論理的思考の源泉となる「右脳」は、論理的思考や、まとまった文章の作成、ひいては、自らが正しいと思うことを表現するためには、非常に重要な役割をになうことになります。
よって、論理的思考の源泉となる「右脳」が活性化し、自らがそれが正しいと思えることが、大律なのかなぁと思ったりします。

「考えるな、感じろ」とは

ブルース・リーの言葉 "Don't think, feel" を私が勝手に意訳したもので、今年始めごろによく使ったフレーズでしたが、SL-A300を改めて入手、ぺンオペレーションし、真剣に手書き入力して改めて、「考えるな、感じろ」というフレーズがいかに大事か、またそのために、右脳とそれにつながる左目をいかに正しい方向に向かわせるか、考えるいいきっかけになりました。

きっと手書き入力は、

感じる右脳を、より良い方向に導いてくねるんじゃないかと思います。

しかし、

手書き入力は、慣れるまでつかれるし、長文入力すると物理的につかれますね。
いや本当につかれます。
速時性が求められる時は、キーボード入力の方が、私には断ぜん有利です。
入力方式は、うまく使い分けるのが吉でしょうか。

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