言語の違いを乗り越えて意味を正確に伝えるのは難しい

モンゴルで、朝青龍関に対する日本相撲協会の対応に批判の声があがっているそうです。
「人権侵害しないでください」の横断幕に鮮烈な印象を受けました。
確かに自宅謹慎は厳しい処分ですが、何となれば外にでることもできます。
あくまで「自宅で謹慎していろ」と協会が命じているだけであり、「自宅から外に出られないような措置を物理的に講じている」わけではありません。
朝青龍関がこれこれこういう理由で外にでたいと説明し許されれば外にも出られるし、何となれば、いろいろ批判を浴びることを覚悟して、勝手に外に出ることだって物理的にはできます。
警察力による自宅軟禁ではなく、相撲という世界の中で協会という組織圧力で朝青龍に謹慎を強いているのです。
刑事罰があるわけではないので、人権侵害までは至っていないような気がします。
(勝手に外に出てしまえば相撲界から追い出され、相撲を続けることはできなくなるのは目に見えていますから、実質的な強制力はありますよね。でも憲法とその他法律で定められている権利が目に見えて明確に不合理に排除されるという判断がなされていませんから、人権侵害とまではいえないかなと思ったわけです。)
でもモンゴルでは「人権侵害」と受けとる人が多いような報道が多いように見えます。
モンゴルの過去の歴史で人権を侵害するような「自宅謹慎」が実施された過去があることがモンゴルの人々の脳裏にあることが背景だそうです。
でも、警察力、武力により自宅から物理的に外に出られなくする程度まで自宅に籠もらせようとする措置がなされない限り、人権を侵害するまでの措置にはならないような気がします。
これは、日本語における「自宅謹慎」ではなく、アウンサンスーチーさんになされている「自宅軟禁」ではないかという気がしてくるのです。
朝青龍に対する協会の措置について、日本語からモンゴル語に翻訳されるときに、自宅謹慎と自宅軟禁のニュアンスの違いがうまく伝わらず、モンゴルの皆さんには「自宅軟禁」として伝わってしまったのかなあと言う気がしてきました。
もしくは、モンゴル語もしくは日本語以外の言語には、「自宅軟禁」に相当する言葉あっても、「自宅謹慎」に相当する言葉がないのかもしれない、という気がしてきました。
こうなると、翻訳先の言語において、端的な単語もしくは2〜3の言葉で「自宅謹慎」を表現することはすごく難しく、日本人が抱いている「自宅謹慎」という言葉の意味を正確に表すために、A4のレポート用紙が数枚必要になるのかもしれません。
最近、RubyJavaScriptなどのLLをいじっていると、LLじゃない言語でのコードリーディングしているとまどろっこしく感じることがあります。
これは、LLが持つ「端的な言葉で意味を表現する」という性質が、他の言語(Javaなど)にはなく、より精緻・性格に、つまりは冗長に記述しなければいけないことに似ています。
言語の違いを乗り越えて意味を正確に伝えるのは難しい。
それはリアルワールドでもプログラム言語でも同じなんじゃないかという気がしました。